自己陶酔

病んだり、怒ったり
疲れたり、愛しかったりした時に適当に書いていきます。

私は過去を流していく

生きていたらそれでいいわけじゃない

肉体さえ育てばそれでいいわけじゃない

完全や完璧を求めたわけではなくて

精神を殺しにかかるなと言っているんだ。


短絡的な発想で

「人も動物だからね、叩かないとわからないのよ」

なんてさ

何も考えてこなかったんだね

私と同じくらいの浅はかさ、なんて知りたくなかったかな


どうしようもない、時があるなら

それならまだわかるんだ

けど違うでしょう、あなたは何度も私を組み敷いて叩いた

裸で放置して、謝るまで叩いた


怒鳴り声と、ピリッとした空気が未だ染み付く


ため息と、睨みつける表情

なんでわからないの?なんてヒステリックに叫ぶあなた


そりゃさ、考えてもみてよ

わかるまで説明されていないのにわかるはずないでしょう

何度も挑戦して理解させることができた時に褒めるのが育児だと思うよ


そんなことを、いつまでもぐだぐだ言うのは生産的ではない

わかっているんだ

だから、どうにかしたくて吐き出す


何かをした時に“悪意を持っての行為”と見るか

“学びのための行動”と取るか

意識の差だよね


んーとね

こう言われたよ

「あなたの母親はもしかして病んでいるのではないですか?」

って。


なるほど確かに。

そうなのかな。

そうなら、私はもう流すしかないだろう。


余裕がない自分、そういうのって

免罪符にはならないんだよね

ならないんだ


反面教師にできたらいいのに


たまに私の中に母親が滲んできてつらい。

同じ路を辿るのが怖い。


私はあなたを憎んでいる。

でも、もう流せるようにつとめるから

これ以上は、踏み込んでこないでください。

お願いします。